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彼女の名は、「クドリャフカ」。
ロシア語で「巻き毛」という意味を持つ、
体重5kgほどの小さな雌犬。
地球上、初めて宇宙へと旅立った生命体である。
犬は古くから人間の友で、
人間に対して恐怖や抵抗を示すことが少なく、
実験動物として最適だった。
そのため、当時ソ連では、
『宇宙犬』として20頭以上のエリート犬達が、
ロケットで高度200kmまで打上げられてパラシュートで降下したり、
数週間、小さな気密室にずっと閉じ込められたりなど、
様々な訓練を、何度も何度も繰り返し受けていた。
そして選ばれたのがクドリャフカだった。
■1957年11月3日(日)
クドリャフカは、特別の気密服を着せられ、
スプートニク2号内部の、アルミ合金でできた
小さな気密室に入れられた。
やがて、ロケットのエンジンに点火され、秒速8kmまで加速。
人間さえ経験したことのない激しい衝撃が彼女を襲った。
それでも彼女は今までの訓練と同様に、
きっとまた、必ず地上に戻って来られると信じていたに違いない。
しかし、この人工衛星は違っていた。
パラシュートの代わりに搭載されていたのは、
エックス線計測機器、クドリャフカの脈拍・呼吸数・血圧計測装置、
無線送信機などだけだった。
そして用意された酸素と食糧は数日分。
クドリャフカは、二度と戻ることのない片道切符の旅に出たのだった。
■1957年11月4日(月)
タス通信によると、この日のクドリャフカの健康状態は極めて良好。
彼女の生態データは無線機で送信され、
地上の基地ではそのデータが随時分析されていた。
狭い気密室に閉じ込められたまま、
微かに聞こえるのは観測機器の音だけ。
淋しくて、彼女は何度も遠吠えしたかもしれない。
そんな深い孤独の中で、彼女は一体、何を考えていたのだろうか。
■1957年11月5日(火)
東京の真ん中でさえ
スプートニク2号の姿は肉眼ではっきり捉えられた。
■1957年11月7日(木)
宇宙に打ち出されて5日目。
スプートニク2号は、地球を60周以上も回っていた。
食糧も少なく、身動きも取れず、何よりも孤独だった。
たった一つ取り付けられた窓らしきものから、
彼女は暗い宇宙や青い地球を、そっと眺めることができたのだろうか。
■1957年11月8日(金)
クドリャフカにとって最後の食事は、
これまでの5日間と同じように細いチューブで喉の奥に流し込まれた。
その直後、彼女が苦しんだのか、
眠るように意識を失ったのかは誰にもわからない。
酸素が無くなり苦しむ前に
睡眠薬入りの毒物で安楽死させたらしいが、真相は不明のまま…。
世界初の宇宙飛行士は、同時に、
世界初の宇宙での犠牲者にもなってしまった。
■1958年11月10日(月)
スプートニク2号からの通信が途絶える。
■1958年4月14日(月)
打ち上げから165日が経過。
この日午前、スプートニク2号は濃密なる大気中に突入。
破壊、消滅した。
クドリャフカの長い旅は、終わった。
人類最初の宇宙飛行士は、
人間よりも小さな命の犠牲によって成り立っていたのだ。
――彼女の名は、
「クドリャフカ」。
裏切りを知らない、小さな1匹の雌犬。
この栄光無き英雄を、世界初の宇宙飛行士を、
どうか、忘れないで欲しい。